こんばんは、編集長あきばっくすです。
それではAbさんの2007年の雨のパリ~ブレスト~パリのレポートの後編をお楽しみください。

なおこのレポートを始め、Abさんの海外ブルベのヒストリーは、
ロングライダース3.75「Abさん世界をゆく。」で読めます。

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 ▲PBPの料理は最高だ。好きな調味料やデザートが手に入る。ただし時間はかかる。



■ルデアック 449km
 
また夜が来た。フランスの夜は教会など古風な石造りの建物がライトアップされていて非常に美しかった。この頃は僕らはリアル・ドラクエをやっている気分になっていた。フィールドを抜けて町に入ると必ず中心に教会があって、そこに向かって歩を進めるからである。
 
ルデアックはひとつの目標であり、バクスター社によるPBPサポートパックの場所、つまり寝るためのバスがあるところだった。
 
PCに行くと張り紙があって、バスの場所を示していた。これがなかなかどうして複雑で・・・ このときGPSを自転車に取り付けたままにしておいたので位置の指定ができない。デジカメで撮影し、あとで何とかすることにした。
PCを出るときに聞かれる。「パリ? ブレスト?」さっきの地図によるとパリ方向が近いみたいだ。そこで「パリ」と答えると、観客がヒートアップ。うおおすげえぞジャポネーゼ、もう復路なのかよ! がんばれがんばれ! えっ? ああそうか先頭集団はもうお帰りの時間なんだ。いや、違います! とも言えず、なんとも変な感覚のまま今度はバスを探す旅に出かけた。
 

■バスはどこだ
 
デジカメ写真を見ながらポイントを設定し、走り出す。うーん、数kmの範囲にはいるはずなんだけど、見当たらない。おかしいなぁ・・・。近くをウロウロウロウロ。ほぼ完徹の上でもう25時になっており、かつルデアックのクローズタイムは4:35なのだ。そのうち日本人参加者が何人かみつかり、一緒に走ってようやくバスを発見。これに最低30分以上消費してしまった。
 
当初の予定地には停車できなかったので、停車できるところを探した結果これだけ離れたそうだ。また、寝ている人がいるから目立つことはできないとのこと。たしかにね。「だから暖房はありません」「えっ」暖房の設備はある、そう聞いていたのに。でもエンジンを回したままにはできないというのだ。外気温と同じで濡れた服で寝るのか。
 
バスの中を、よほど気を付けて歩いたつもりだが、ライトが点けられないため真っ暗だ。小さな悲鳴が聞こえた。ああ、一人踏んづけてしまった。ううすいません。最悪だ。もう着替えてる時間も惜しいので、そのまま座席の一つにうずくまって眠ることにした。
 
確かに一応仮眠は取れたのだが、費用対効果を考えると、どうにも釈然としない気分のまま外出。トイレも、装備はあるけど使用できないのである! やむなくもう一度ルデアックに戻り、補給とトイレを済ませてから旅立つ。
「パリ? ブレスト?」「ブレスト」なーんだ。というちょっと落胆気味なリアクション。しょうがないじゃん! 

 
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  ▲ロン・ポワン、つまりロータリーの標識。初めて走ったのでかなり緊張した。


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 ▲雨の中深夜まで多くのカフェがオープンしていた。古風な自転車も完走している。
※たまたまこの写真中央に写っているタマネギ自転車は、PBP当時使用されていた自転車に当時の服装で乗って完走を目指すグループによるもの。

 
 ■ブレストへ

いよいよ半分が近づく。天気は曇ったり晴れたりだったのだが、ブレストが近づくと晴天となった。これは最高だ! GPSで見たときどうしてもルートが分断されていた箇所には大きな吊り橋がかかっていて、見事な景色。ブレストに到着したんだなという実感を得ることができた。
 
ふと気づくと、mixiのブルベコミュニティで使用されていた BREST の標識そのものを発見した! これは写真を撮らねば。
 
近くの人に写真を頼む。するとちょっと待ってくれ、ファンを探しているんだ。とのこと。ファン? 扇風機かなぁ。ファン・・・ファン・・・そしてようやく彼が携帯電話を発見、ああ、phoneね。なるほど! さてそれはともかく、写真撮ってもらっていいですか? と告げると苦笑しながら撮影してくれた。
 

■パリブレストでパリブレスト
 
ブレストのチェックを受け、引き返す。もう後は帰るだけだ。なんて気持ちにはあまりなれず、つねに迫ってくる制限時間に終始ハラハラしていた。国内ブルベでもこんなに時間に追われることはなかったのに。それもそのはず、各PCでブルベカードチェック行列とレストラン行列に並んでいては時間がいくらあっても足りない。もちろん剛脚さんはそれでいいんだろうけど。急ぐ人はコントロールでメシは食わないみたいだ。つまりフランス語で現地のカフェで注文できるスキルが必要となるのである。
 
僕もせっかくフランスに来たんだから、お菓子やさんがあれば寄ってみることにした。すみません、このシュークリームください。と片言のフランス語。店員のお姉さんは喜んで差し出してくれた。
 
外に出て頬張っていると、アメリカ人参加者らしき人が親指を立ててこう言った。
「パリブレストの参加中にパリブレストを食べるとは、さすがだな! ha ha ha」

パリブレスト カット3


 ■最後の元気
 
復路、天気もよく眠くもなく、なんだかとても快調だった。しばらく先頭交代して集団を引いていたのだが、「調子がいいんだ、しばらく前でいいかい?」なんて調子に乗って、最終的には僕が先頭で15分くらい走っただろうか?  いやぁ助かったよなんて言われて嬉しかったのだが、それが最後の元気となった。
 
なぜか後輪がパンクし、道端で修理を開始する。ま、1200kmもあれば一度くらいパンクはするだろう。ネタにもなって面白い。そんな気分で修理を終えて、峠を上る。PBPで唯一峠らしい峠がこのへんにあって、登りきったところで写真を撮られた。
 
なんでも日本人参加者が、日本人を待って写真を撮ってから行くとのこと。なら僕もしばらく居ようかな・・・。なんてしばらく夕日の写真を撮ってくつろいでしまった。そんな余裕はないはずなのに。


■雨ふたたび
 
天候が悪化しまた雨が降ってきた。夜間に雨というのはなかなかつらいものがある。完全に冷え切ってしまい、限界を感じた頃に目に飛び込んだ私設エイドに並ぶ。(*6 いろんな店が深夜営業していた。キャフェ・オ・レ・テ・ショコラーの呼び声で、コーヒー、水、牛乳、紅茶、ホットチョコレートがあるのがわかるのだ) 並び方がよくわからないが、そんなこと言ってる場合ではない。

しばらくして、何がほしいと聞かれ、カフェオレをください! と頼む。震えながら飲んだそのカフェオレは体の中から温めてくれた。しかし残念なことに、それは一瞬のことに過ぎなかった。この雨の様子をぜひ捉えたいと写真を撮ったが、そんなことをせずとにかく急ぐべきであった。
 

■ルデアック再び 775km
 
今度はGPSにデータがあるため迷わずバスに到着。ただしルデアックのクローズが5:30なので、先にPCチェックをしてから戻ったものと思われる。このロスがトータル1時間くらい加算された計算になるだろうか。バスのチャーターも善し悪しである。
 
バスでは完走をあきらめて車内で寝ている人もいれば、まだ走るけど仮眠をしてる人もいる。僕も仮眠するか。でも寝過ごしたらマズイ。その前にバクスター社の運転手に聞いてみた。
「このバスは何時に出発するんですか?」
「君もリタイヤするつもりかい?」
「いいえ!挑戦中(still trying)ですよ!」
「挑戦中か、それはいい。ha ha ha!」
結局クローズタイムまではいるらしく、そのあたりまで3時間近く仮眠できるだろうか。寒さに震えながら寝た。

 
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 ▲日本人によるタンデム走行! かなり速くて、これはうらやましい体験である。


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 ▲PCは暖かいが、うるさい。この状況で仮眠している人もいるが、かなり厳しい。



■3日目
 
天候は悪化し、降ったりやんだりを繰り返している。あまりにもケツが痛くて、立ち止まってDICTON SPORTSを塗る。手にゴルフボール大のかたまりをとり、皮膚につける。じゅーー (ぎゃあああああああ!) 思わず叫びたくなる激痛が一瞬走り、そしてすぐ落ち着く。よしこれで4時間は大丈夫。そう信じて先を急ぐ。
 
雨が降ってしまうとパンクリスク、皮膚がやぶれるリスク、スリップするリスクなどが増加し、いいことはあまりない。その代わり、「雨により制限時間を2時間サービス」だったか、そんな表示がシークレットコントロールに書かれていた。「おかしいよね、普段のPBPはこんなに雨が降ることないのに。」ですよねえ。
 

■モルターニュ・オ・ペルシェ 1084km
 
日本人のタンデムを見たり、美しい風景を眺めたりして自分をごまかしつつ、なんとかモルターニュ・オ・ペルシェに着いたのは朝の3時半だった。ホントにおかしい、なんでここまで残り時間がなくなるのか。それはやっぱりPCごとにフルコースを平らげているからだろうなあ。だってステーキおいしいんだもん。
 
確かこのPCのレストランで列に割り込まれた形になってしまい、まあそんなこともあろうかと平静を保っていた・・・つもりだったが、どうもすごい形相でそいつを睨んでいるように見えたらしい。その人からああすまない、そんなつもりはなかったんだ!と大げさに謝られてしまった。いや、それはどうでもいいから気にしないで。時間がないからメシを食おう。と言うべきなんだがその英語がなかなかでてこない。あーうー言ってるうちに終了してしまい、気づいたらにこやかなフランス人からこう言われていた。「さてポークとビーフ、どちらになさいますか。」
食べ終わり、なんとかここで仮眠をすることを決意。しかし床という床はすでに参加者に陣取られて埋まっている。テーブルに突っ伏して仮眠を試みると・・・
 
ヘイ!ジャポネーゼ元気かー!と背中をたたかれる。おい、そいつ寝てるみたいだぞ。おっこれは失礼、ははは! その後も食器をガシャーンと取り落とす音や大声での会話が聞こえ、寝るどころではない。というかそもそも食堂のテーブルで寝るのはマナー違反なのかもしれない。
 
仕方ない、先に進んで路肩で寝るか。
 

■4時の出発
 
このPCのクローズは5:30で、残り90分しか持ち時間がない。こんなに追い詰められるとはまったく予想外だ。人気がなさそうなところを選び、路肩で横になる。これで一瞬でも「落ちる」ことができれば、それで残り140kmくらいはなんとかなりそうだ。しかし・・・
 
サヴァ・サヴァ・サヴァ!?
 
激しい声とライトが僕を照らした。彼はバイクによるパトロール部隊。つまり本当に瀕死の状態で道端に倒れているような場合は病院に連れていく必要があるので、それを監視して回っているというわけだ。
 
僕は走行上の危険を回避するためにただ寝たいんだ! がしかし、それはフランス語で説明せねばならず、かつまた次のパトロール隊に起こされたら同じことをせねばならない。僕は仮眠をあきらめて答えた。
「サヴァ (I'm fine!)」


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 ▲ 残り15km!こんなに嬉しい標識があるだろうか。パリは、もうすぐそこである。


 
■こたつに入る夢
 
もう寝る時間はない。寝るのはあきらめた。そうだ、日が昇るまであと数時間。それさえ耐えきれば、ゴールはもう近いのだ。走ってやろうじゃないか!
 
間違った選択肢を選んだ時というのは、なんとなく自分でもわかるものである。しかし、そうは言っても不眠で90時間走る人もいるんだから、何とかならないとも言い切れない。明るい材料を探しながらも、とにかくペダルを踏み込むのだ。
 
それにしてもひたすらに、制限時間がギリギリな状況が続く。本当に完走できるのか、ずっと不安で仕方ない。正直PBPがここまで困難を伴うなんて考えていなかった。
 
薄暗い森の中で、しとしと雨で、うっすらと上り坂だった。思考が徐々に内向きになる。あまり寝てないと幻覚を見ると言われる。一方で、寝なくても人は死なないとも言われる。どっちが正しいんだろうなあ。しかし寒いなあ。こんなときはこたつに入ってみかんだよなあ。
 
ライトに照らされた道の窪みが、遠くからすっと近づいてくるのがスローモーションのように映って見える。だが僕にはそのとき、それが「こたつ」に見えたらしい。あれー。向こうからこたつがやってきたぞ、こりゃいいや。ちょっと入って行こうかなあ。
「おい、何やってんだ危ないぞ、おい!」
という英語が聞こえ、何を意味しているか理解する前に僕は路面に倒れていた。がっしゃーん・・・ああああ・・・最悪だ。
 
トラブルはごめんとばかり、その集団は行ってしまったが、一人だけ残ったようだ。もしかして僕は彼と接触してしまったのか?
「大丈夫ですか?」と綺麗な英語だ。
「ええと・・・すみません、あまり寝ていなくて・・・そちらに何かダメージはありましたか?」
「いや、平気だよ。そっちはどう?」
「大丈夫のようです。いやホントすみませんでした」
「平気でよかった! 次のコントロールでしっかり休んだほうがいいかもね!」
「わかりました、次のコントロールですね。」
「じゃあ、グッドラック!」
「あなたも!」
 

■日本人参加者
 
絶対気を付けていたはずの危険な運転をしてしまい、大変しょげた。でも僕は走るしかない。さすがに眠気が吹き飛び、また空も明るくなってきて、今日ゴールまでなんとか乗り切ろうという気持ちになった。
 
やっと通りかかった次の街の道端で、友達の日本人参加者が休憩しているのを発見した。
「あれ、どうしたんですか?」
宇都宮の市民レースで優勝したこともある彼は剛脚なので、余裕でゴールしていると思っていたのだ。
「いや、実はね・・・」
 
彼は背中にサンドイッチを入れて走っていた。しかしパッケージをあけたまま体温で保温しながら走っていたため、どうも雑菌が繁殖してそれに当たってしまったのではないかとのこと。胃腸の調子が悪いそうだ。
しばらく一緒に走ってもらうことになった。誰かと会話しながら走ると、眠さは吹っ飛んで行ってくれる。
 

■ドルー 1158km
 
到着は9:30頃、クローズは10:40。トラブルが発生しなければゴールできそうな気がした。
 
誰かが言う。他の国のチームみたいにさあ、日本人参加者も集まって集団ゴールしたいよね?AJジャージを見せてさ。それもいいかもしれない。まだ何人か来てないから、ちょっと待っててよ。わかった、じゃあ出発には呼んでね。そう告げて、僕はうつらうつらと座りながらちょっと落ちたらしい。
 
起きたら・・・誰もいなかった。おい!!どういうことだよ!?
時計を見るとまだ間に合わない時間じゃない。焦って一人で自転車に乗って後を追う。

パリブレスト カット4

 

■つばめよあれがパリの灯だ(*7 石橋つばめはセパレイトブルーのヒロインです)
 
路面は徐々に悪化し、まるで石畳を走行しているかのようだ。それは体が疲弊しきってそう感じるだけなのかもしれないし、実際荒れた路面だからなのかもしれない。いずれにせよ、KLEIN REVEで来てよかったと実感。(*78 サスペンションつきのコンフォートロード) REVEはフランス語で夢という意味らしく、まさにぴったりじゃないか!
 
ヒマワリ畑を過ぎて、その中を走る集団の美しいことと言ったらない。
アメリカ人らしき人が楽しそうに話しかけてきた。
「やあ、やったよな俺たち!これなら十分ゴールできるだろう?」
「たぶんね。ちなみに何時スタート?」
「21時だけど?」
「僕らはその1時間後くらいにスタートしていて、ぎりぎりなんだ。本当に時間が余ってるか確認した方がいいと思うよ」
 
彼はちょっと青ざめた感じになり、スピードを上げて去って行った。きっと雨天ボーナスがあるから平気だとは思うが急ぐに越したことはない。
 
あたりの生垣や路肩に突っ伏して寝ている人が散見される。ああもどかしい、あとちょっとなのに時間は大丈夫なのか。でもそれよりまず自分の心配である。
 
しばらく走り、ARRIVEE 20km との標識があった。おお、あと20kmか! 残り15kmとなり、市街地に入る。よかったぁ、なんとか無事に、しかも制限時間内に帰ってくることができた。
 
アメリカ人チームと集団で走り、Go Go Go !! という掛け声とともにダッシュでゴールした。ありがとう、一緒に走ってくださった方々。
 

■最終コントロール
 
ゴールしてからゴールのチェックを受けるまでがまた待ち行列に並ぶ必要がある。これがまた20分くらい待たされるのだが、総走行時間はこれを含んでおり、カードをチェックされた時刻がゴール時刻となる。
 
目の前の白人がこれが我慢ならないらしく、俺はこの時間にゴールしてたんだぞ! どれだけ待たせるんだよ、ふざけんな! とまくし立てていた。確かにその気持ちはわかるけど、それも含めてパリブレストなんだよね。
最後にコントロールのおじいさんと握手した。よかった、これで何とかセパレ部の面目躍如といったところか。一蓮托生をプリントしたセパレ部ジャージを撮影し、胸をなでおろした。
 
会場を見回すと、受付のときもあったLEL紹介の表示が見えた。ロンドンエジンバラ1400kmだって? PBPでさえ充分につらかったよ。とりあえずこれで、ブルベは卒業かな・・・。
 
ホテルについて、それこそ象のようにふやけた足を眺め、これ本当に元に戻るのかなあと心配しつつ、僕はLELのことを記憶の片隅に追いやるのだった。
 


■データ
走行距離 : 1227[km]
獲得標高 : 10495[m]
コース難度 : ★★★★★★★★
出発-到着 : 2007/8/20 22:30-8/24 15:44
所要時間 : 89時間14分 (なぜか公式記録は88時間台になっている)
実走行時間 : 63時間23分
移動平均速度 : 19.5km/h
睡眠 : 2+1.5+0.5[h]

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 ▲ 前日思い立ちすべてのPCの日本語読みとクローズタイムを書いた。まさに泥縄である。