両津ASを出てしばらくは市街地の中を進行。
そしてAコースとBコースの分岐を過ぎるといよいよ小佐渡に入る。
道幅は狭く、舗装は荒れ、先の見えないアップダウンが続く。延々と続く。
右側は暗い森。左は鉛色の海。
この辺からなんとなくだが雲が切れて来た。
雨はいつの間にかやんでいた。
その代わりに気温はぐっと下がった。等価交換というやつか(違)
カナサイさんに寒くない?と聞かれた。相変わらずぼくだけは雨具を着ていなかったから。
確かに酷く寒かった。しかしいいペースで来ていたので、止まりたくなかった。
寒いけどいいやと言ってそのまま進行。
昨年ASだった老人保健施設の近くまで来たところで、全身冷えちゃってトイレ行きたくなって来た。先頭のカナサイさんのところまで行ってそう言ったら同じく、との返事。しかし昨年のASは、今年は開いていなかった。
次のASは何Km先だ?もしかして20Km先の赤泊港まで何もないんだっけ?
…このままじゃヤバいぜ、と思ったらASまで3Kmの看板。
ここからぼくがスパート。後方で阿羅本教授がトイレアタックだー!と叫んでいたけど、その通りだよ(笑)
みんなもかなり切羽詰まっていたようでついて来た。そのままASまで全力で引いた。
ありがたいことに、野崎AS(だったかな?)のトイレはそんなに混んでいなかった。ぼくたちが用を済ませた頃から混みだしたみたいだけど。アタックした甲斐があったね(笑)
そして再び暗い森の中の狭い道を上ったり下ったりあっち行ったりこっち行ったり。海岸沿いに戻ると、陽射しが。をを。寒くない……
工事中の区間に差し掛かった。ぐねぐね曲がりながら上らされる嫌なところだったけど、幸い路面に敷かれた鉄板は乾いていた。上りきる少し手前でカナサイさんがパンクした。路肩に出てチューブを交換。手馴れた作業なのですぐ終わりそうだったし、狭いところに何台も止まっているのは通行の邪魔だ。
ということで、ゆっくり行ってるから追いかけて来てね。追いついて来なかったらASで待ってる、と申し合わせて先発。合言葉は下げ進行。しかし急な上りのワインディングで、九尾さんのバスクの血が騒ぎ出し、アタックを開始してしまう。
九尾さんがダンシングで加速を開始した、まさにその瞬間。
九尾さんがパンク。ぼくと阿羅本教授とWillさんが同時に
「天罰だ」
カナサイさんを待つためもあって、九尾さんはゆっくり作業した。しかしカナサイさんは来なかった。仕方がないので今度こそ下げ進行で再スタート。
以後、誰かが加速するたびに「頑張るとパンクするよー」という声が後方から響くようになった。
ところで、狭い道で車が来た時「くるまー!」とか「対向ー!」とコールしているのは、どうもぼくたちだけみたいだった。あんまり一般的じゃないのかなそういうの。
赤泊港近くの平坦な区間で、ようやくカナサイさんが追いついて来た。聞けば交換したチューブをパンクさせてしまい、もう一度交換する破目になって時間を食い、マジ踏みしてようやく追いついたとのことだった。
赤泊ASで補給そして男子トイレのみ渋滞。
赤泊ASから小木ASまでの区間はずっと漁村、農村、漁村の繰り返し。
そして雨が降ったりやんだりの繰り返し。
雨がやんで、しばらく走り続けてジャージが少し乾いて来たかと思うと、前方が雨で白く霞んでいるのが見えて来る、と。
どぎつい色に塗られたパチンコ屋の前を通過したら、小木港はもうすぐだ。
小木ASももうすぐだ。
小木ASに着いた時点で雨はやんでいたが気温は低いまま。
ぼく以外のみんなは雨具を脱ぐか着たまま走るか葛藤していた。結局みんな雨具を着たまま走ることにしたようだ。
それで正解だったんだろう。ASを出た先でまた雨がぱらつきだした。
ぼくのジャージにしても、結局ゴールまで乾かなかった。
急な上り。田んぼの間の平坦。よくわからないアップダウンを経て、昨年の最終ASだった170Km地点深浦駐車場を通過。ここから海岸まで下り。トンネルを抜け、そして束の間の平坦。
補給を摂りつつ、去年走ってないみんなにこの先の地形を説明しておく。
この先が終盤の激坂4連発です。地形は三浦半島の激坂に似てます。直角に曲がるといきなり直線で斜度11%の上りです。
ちなみに第1回のコースプロファイルに、その激坂4連発は記載されていなかった…というか、ほとんど平坦として記載されていた。ようするに昨年はこんなの坂じゃない、と言っちまうフランドル人がコースレッキしたに違いない。同じ地点のプロファイルが今年はまさにノコギリなんですが。
そして直角のコーナーを曲がったとたん。地獄へようこそ。最大斜度11%の坂の最大斜度11%の区間がいきなり一直線に、どおーんと。それを見たとたん阿羅本教授がぶち壊れた声で絶叫した。
「バカジャネーノ?170キロ走らせた後でこんなとこ走らすってバカジャネーノ?」
11%の区間を過ぎても、まだ先がある。
いつだってまだ先があるのが佐渡の坂だ。
みんなには先に行ってもらって、ぼくは1人で後からのったらくったら上る。
苦労して上ってもすぐまた海岸まで下らされて貯金吐き出すことになるんだよね。
正直ここから時系列が曖昧なんだけど。下ったところでみんなに追いついた。その直後九尾さんがパンク。
地元のおばちゃんたち注視の中で修理する。
チューブを交換してCO2をぶち込んだところ、またパンク。タイヤが裂けていた。
ガムテで補修して、携帯ポンプで最低限の空気圧入れて再スタート。
次の坂もまたきつい。今度は最大斜度15%だ。それも、長い激坂のてっぺんに。
下から見えるのは、坂の取り付きの最初のコーナーだけ。ここだけでも充分きついんだけど、その先ずっと先の見えない上りが続き、そしていったん斜度が緩くなって終わったか?と油断させておいてから、後半の長い直線的な最大斜度15%の上りが始まるという構造。
この道を設計したやつはサドに違いない。
またはフランドル人に違いないとも思うんだけど、年度末に補修するついでにせっかくだから石畳にしよう(笑顔)とか言われても困るので、貴様フランドル人だなと詰問するのはやめておこう。
そんな坂をぎしぎしぎしぎし上る。
ギアはとっくにインナーローのまま。上ハン握って上る。
ハンドル引っ張っても進まないという単純な事実に打ちのめされながら上る。
リアルがっかりポーズで上る。
しかしここで自転車を押して上っている人を見たのは3年続けて参加して1回しかない。
やっとこさ上りきると、再び海岸まで下って貯金を吐き出すことに。
下りは大好きだが、まだあと2回上らされるとわかっているので、正直複雑だ。
しかしそれでもやっぱり下りはヒャッハー!せざるを得ない。
下りきって砂の浮いた海岸道路に出ると最終ASはもうすぐだ。次の坂ももうすぐだ。
最終ASで焚き火に当たっていると、なんかもうこのまま火に薪をくべる以外のことはしたくなくなるんだが。しかし休んでなどいられない。すぐ出撃だ!とルーデルさんが脳内で急かすんだ。
工事中の区間に差し掛かった。ぐねぐね曲がりながら上らされる嫌なところだったけど、幸い路面に敷かれた鉄板は乾いていた。上りきる少し手前でカナサイさんがパンクした。路肩に出てチューブを交換。手馴れた作業なのですぐ終わりそうだったし、狭いところに何台も止まっているのは通行の邪魔だ。
ということで、ゆっくり行ってるから追いかけて来てね。追いついて来なかったらASで待ってる、と申し合わせて先発。合言葉は下げ進行。しかし急な上りのワインディングで、九尾さんのバスクの血が騒ぎ出し、アタックを開始してしまう。
九尾さんがダンシングで加速を開始した、まさにその瞬間。
九尾さんがパンク。ぼくと阿羅本教授とWillさんが同時に
「天罰だ」
カナサイさんを待つためもあって、九尾さんはゆっくり作業した。しかしカナサイさんは来なかった。仕方がないので今度こそ下げ進行で再スタート。
以後、誰かが加速するたびに「頑張るとパンクするよー」という声が後方から響くようになった。
ところで、狭い道で車が来た時「くるまー!」とか「対向ー!」とコールしているのは、どうもぼくたちだけみたいだった。あんまり一般的じゃないのかなそういうの。
赤泊港近くの平坦な区間で、ようやくカナサイさんが追いついて来た。聞けば交換したチューブをパンクさせてしまい、もう一度交換する破目になって時間を食い、マジ踏みしてようやく追いついたとのことだった。
赤泊ASで補給そして男子トイレのみ渋滞。
赤泊ASから小木ASまでの区間はずっと漁村、農村、漁村の繰り返し。
そして雨が降ったりやんだりの繰り返し。
雨がやんで、しばらく走り続けてジャージが少し乾いて来たかと思うと、前方が雨で白く霞んでいるのが見えて来る、と。
どぎつい色に塗られたパチンコ屋の前を通過したら、小木港はもうすぐだ。
小木ASももうすぐだ。
小木ASに着いた時点で雨はやんでいたが気温は低いまま。
ぼく以外のみんなは雨具を脱ぐか着たまま走るか葛藤していた。結局みんな雨具を着たまま走ることにしたようだ。
それで正解だったんだろう。ASを出た先でまた雨がぱらつきだした。
ぼくのジャージにしても、結局ゴールまで乾かなかった。
急な上り。田んぼの間の平坦。よくわからないアップダウンを経て、昨年の最終ASだった170Km地点深浦駐車場を通過。ここから海岸まで下り。トンネルを抜け、そして束の間の平坦。
補給を摂りつつ、去年走ってないみんなにこの先の地形を説明しておく。
この先が終盤の激坂4連発です。地形は三浦半島の激坂に似てます。直角に曲がるといきなり直線で斜度11%の上りです。
ちなみに第1回のコースプロファイルに、その激坂4連発は記載されていなかった…というか、ほとんど平坦として記載されていた。ようするに昨年はこんなの坂じゃない、と言っちまうフランドル人がコースレッキしたに違いない。同じ地点のプロファイルが今年はまさにノコギリなんですが。
そして直角のコーナーを曲がったとたん。地獄へようこそ。最大斜度11%の坂の最大斜度11%の区間がいきなり一直線に、どおーんと。それを見たとたん阿羅本教授がぶち壊れた声で絶叫した。
「バカジャネーノ?170キロ走らせた後でこんなとこ走らすってバカジャネーノ?」
11%の区間を過ぎても、まだ先がある。
いつだってまだ先があるのが佐渡の坂だ。
みんなには先に行ってもらって、ぼくは1人で後からのったらくったら上る。
苦労して上ってもすぐまた海岸まで下らされて貯金吐き出すことになるんだよね。
正直ここから時系列が曖昧なんだけど。下ったところでみんなに追いついた。その直後九尾さんがパンク。
地元のおばちゃんたち注視の中で修理する。
チューブを交換してCO2をぶち込んだところ、またパンク。タイヤが裂けていた。
ガムテで補修して、携帯ポンプで最低限の空気圧入れて再スタート。
次の坂もまたきつい。今度は最大斜度15%だ。それも、長い激坂のてっぺんに。
下から見えるのは、坂の取り付きの最初のコーナーだけ。ここだけでも充分きついんだけど、その先ずっと先の見えない上りが続き、そしていったん斜度が緩くなって終わったか?と油断させておいてから、後半の長い直線的な最大斜度15%の上りが始まるという構造。
この道を設計したやつはサドに違いない。
またはフランドル人に違いないとも思うんだけど、年度末に補修するついでにせっかくだから石畳にしよう(笑顔)とか言われても困るので、貴様フランドル人だなと詰問するのはやめておこう。
そんな坂をぎしぎしぎしぎし上る。
ギアはとっくにインナーローのまま。上ハン握って上る。
ハンドル引っ張っても進まないという単純な事実に打ちのめされながら上る。
リアルがっかりポーズで上る。
しかしここで自転車を押して上っている人を見たのは3年続けて参加して1回しかない。
やっとこさ上りきると、再び海岸まで下って貯金を吐き出すことに。
下りは大好きだが、まだあと2回上らされるとわかっているので、正直複雑だ。
しかしそれでもやっぱり下りはヒャッハー!せざるを得ない。
下りきって砂の浮いた海岸道路に出ると最終ASはもうすぐだ。次の坂ももうすぐだ。
最終ASで焚き火に当たっていると、なんかもうこのまま火に薪をくべる以外のことはしたくなくなるんだが。しかし休んでなどいられない。すぐ出撃だ!とルーデルさんが脳内で急かすんだ。
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